梁川城跡及び庭園

中世伊達氏の居城

梁川城跡及び庭園
梁川城は鎌倉時代に築城されたと伝わり、11代持宗から14代稙宗までの時期を中心に、長きにわたり伊達氏の本拠地とされていました。稙宗が室町幕府から陸奥国守護職に補任された時期には、奥州の政治的中枢の位置を占め、桑折西山城、米沢城に居城を移してからも、豊臣秀吉の奥州仕置まで伊達氏領内の重要拠点とされました。その後、蒲生氏や上杉氏の支配を経て、尾張藩2代藩主徳川光友の3男松平義昌が梁川藩3万石を立藩。4代通春(後の尾張藩主徳川宗春)が尾張本家を継いだため廃藩となりました。その後、江戸幕府の直轄地などを経て、幕末には松前藩領となり明治維新を迎えました。現在、梁川城跡の一部は中学校、高等学校などの敷地になっていますが、本丸跡庭園「心字の池」やかつての土塁、堀跡などが現存しており、往時の姿を偲ぶことができます。 中世の城郭内庭園では、梁川城のように本丸に庭園が現存する例は少なく、極めて貴重と言われています。令和元(2019)年に梁川城跡を含む「伊達氏梁川遺跡群」が国史跡に指定されました。
住所
福島県伊達市梁川町字鶴ヶ岡1番地
電話番号
024-573-5804
営業時間
料金
所要時間
備考

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