本陣跡

ほんじんあと

宿場に設けられた大名や幕府役人が休泊した施設

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内ヶ崎家初代の織部は始め筑後といい、大和町鶴巣城主黒川安芸守に仕えた家老であったが、天正18(1590)年の奥州仕置により主家を除かれ帰農していた。元和4(1618)年、政宗により富谷に新たに宿場を開くことを命じられ、富谷の初代検断となった。当時のしんまち地区は住人の少ない寒村であったが、筑後の努力により人が集まり、元和6(1620)年に宿場町として独立した。本陣は各宿場に設けられた大名や幕府役人が休泊する施設で、南部・松前・一ノ関藩主等の宿泊所となった。当時の建物は現在残っていないが、栗原市の有壁本陣と同様のものであったという。内ヶ崎家が酒の醸造を始めたのは、寛文元(1661)年二代目作右衛門の時で、その後子孫が継いで現在に至る。寛文年中に仙台藩主が当地方に来られた際、酒を献上していたという記録が残されており、代表的な銘柄は「鳳陽」である。

基本情報

住所
宮城県富谷市富谷新町27
料金
無料
営業時間
休業日

問い合わせ先

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富谷市民俗ギャラリー
電話番号
022-358-1531