志戸田用水ずい道

しとだようすいずいどう

千坂一族の伝承

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昔から米作りが盛んな志戸田は、わずか10坪の田んぼから四斗の米が取れたことから、四斗田が志戸田になったと伝えられている。しかし江戸時代には,日照りが続いたり、用水路が洪水で壊されたりと、志戸田の人々は水不足に悩まされていた。1750年ごろの肝入(今の村長)であった千坂半左衛門は、人々の苦しみを見て志戸田の水不足を解消しようと、自分の財産を使って用水路を作り直す工事を始めた。用水路内の崩れやすい所では、ずい道(トンネル)を掘り、ずい道は3ヶ所で600mにも及んだ。地面の中を掘り進めるずい道の工事は、道具も十分でなかったこの時代にとても大変な作業であった。中でも3号ずい道では、途中にゴミがつまらないための仕組も考え出された。用水路とずい道の工事は、半左衛門が生きている間では終わらず、息子である半右衛門、孫の清信の三代にわたり、ようやく完成したと伝えられている。

基本情報

住所
宮城県富谷市志戸田塩釜
料金
無料
営業時間
休業日
アクセス
仙台北部道路富谷ICから車で約10分
東北自動車道泉ICから車で約20分

問い合わせ先

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富谷市民俗ギャラリー
電話番号
022-358-1531